一年間の留学
イギリス人の生活
-裏庭-
春には藤の花が咲きます。
ここで皆でよく食事をしました。
こんな光景も珍しくありません。





今ではイギリスは私にとって、エジプトの次の故郷となりました。言葉の違う国、しかも他人の家に住む…
もしそんな機会があったなら、是非体験してみる価値のあるものだと思います。

スカッシュのコーチをしていた私は、ある時期から子供を教えることになり、今まで自分がコーチとして確信の持てる
知識を何も持ってないことに、嫌でも気づかされました。成長期にあたる生徒にとってスポーツは諸刃の剣であり、
正しい指導を受けるべきなのです。残念ながら、当時日本にはプロコーチという制度もなく、ほとんど見よう見真似の
スポーツでした。人より多くプレイしている分、または大会に出ているという理由でコーチになれました。私もそんな
恩恵を受けたひとりでしたが、やはり壁はやってきました…。
このままではとてもコーチは続けられない、と思い始め、初めて海外に出ることを考え始めました。スカッシュの強国
といえばパキスタン、イギリス、オーストラリアなどがありますが、イギリスを選んだ理由はスカッシュの発祥の地
だったからです。たくさんの方たちに協力をして頂き、なんとか長期のビザをもらおうと大使館へも足繁く通いました。
イギリスのスポーツを日本で発展させたい、という熱意が伝わったのか、何度目かにやっと推薦状を手に入れること
ができました。そして半年後、やっと機上の人となることができたのです。日本で初めてのプロコーチとなるための
イギリス行きでしたが、なぜか感じていることがひとつだけありました。
それは、試験に受かっても受からなくても、私の人生にとって何か大きなものが待っている…という確信に近い予感
でした。スカッシュではない何かで非常に大切なもの、だから今行かなければならない…のだと。

ヒースロー空港に着いた日は雪が降っていました。
寒いだけでなく、これから新しい生活が始まるというのに、
私の気持ちもどっぷりと落ち込んでいました。なぜなら、
大きなスーツケースの中には忘れ物はないはずなのに、
一番大切な商売道具のラケットを日本に置いてきてしまった
からです。飛行機が空に上って一時間ほどした時でした。
「あっ!」と叫びながら思わず立ち上がってしまい、
このオッチョコチョイの性格を呪ったほどでした。
たかがラケットですが、使い慣れたものを使えないということが、
これからの生活の不安を増長させるようでした。
しかし、さすがに推薦状が効いたのか、運がよかったのか、
空港ではすんなりと一年間のビザをもらうことができ、
そして慌ててスポーツショップに向かいました。

お世話になる家族は、スポーツクラブの方に紹介して頂いたこともあって、とても温かく迎え入れられました。夫婦に
13才と15才の女の子。下の子は細くて少年のようですが、とても目鼻立ちの整った美人。上の子は私より背が高く、
大柄。一人っ子だった私には妹たちができたようでとてもうれしかったのを覚えています。まあ、一年ともなると長く、
いずれこの子たちともいろいろあるわけですが、それは追々…。
ロンドンの近郊に王立植物園がありますが、その側の高級住宅街。それがこれから私の住む町でした。駅にも近い
し、植物園まで歩いて5分なので、環境は申し分ありません。通りに面した贅沢な部屋をもらい、ジュニアチャンピオ
ンを育てたコーチのレッスンが始まるまでの二週間ほどを、毎日植物園で過ごしました。サンドイッチとスカッシュのノ
ートを抱え、ウォークマンをして誰もいない緑の中のベンチを目指して歩く間、リスがチョロチョロと足元に遊びに来ま
す。向こうではリスはあまり好かれてはいないようですが、私にとっては最初の友人となりました。食べているパンを
ねだりに鳥も集まり、手のひらから欠片をついばんでいきます。こんな静かな時間を持てることなど想像もしていませ
んでした。私は今まで生きてきた人生のこと、親のこと、そして帰国したら何から始めようかなど、いろいろなことに思
いを巡らすことができました。特に自分自身のことを客観的に見ることができたのは、あの時間があってこそだったと
思います。今思えば、そこから新しい人生を歩み始めたのかもしれません。

一年の間、私は一度もホームシックにかかったことはありませんでした。常に考えていたこと、それはあと何日しかな
い…ということだけでした。それだけ居心地が良かったのでしょう。一年が過ぎた時、ビザの更新をしようかとも考え
ましたが、このままズルズルといるよりも、やはり一回帰国して、私が日本でやるべきことをやらなければいけない
と、後ろ髪を引かれながら泣く泣く日本に戻りました。今でもお世話になった家族とは交流を続けていますし、心から
感謝しています。帰国した後にも何回も会いに出かけました。娘たちも今では結婚し、上の子は二人の子持ちです。




私の場合観光旅行ではなかったので、何を持っていけばいいのか、何を持っていかなければならないのか、結構迷
いました。滞在させてもらった家族のお母さんジュリアは私のスーツケースの中身を覗きこんで「まあ、北極じゃない
のよ」と笑ったものです。予想していた通り、イギリスの生活は質素でした。質素というよりは、無駄を嫌います。いく
つかのエピソードをご紹介しましょう。
 イギリスに着いてから一週間、私はすっかり自閉症気味になってしまいました。昔から英会話は習ってはいました
がヒヤリングが苦手で、皆の話にも加われず、毎回食事の時にはお皿の中に顔を突っ込んだままでしたし、どうか話
しかけないでくれと祈りながらドキドキしていました。でも、ジュリアは学校の先生をしていたので、根気強く私を見守
ってくれました。ある日、食後の皿洗いを手伝っていた時でした。洗っていた鍋の柄がポキッと折れたのです。その
瞬間、私の背後で見ていた上の子は「ちょっと、何やってんのよ。役に立たないんだったら、さっさと日本に帰りなさい
よ」とのたまいました。私は言い返す言葉も見つからず、どうしようと思っていると、ジュリアが来て言いました。
「やっぱり壊れた? これもう何十年も使ってるから心配しなくていいわよ」
まだ十五才の小娘に言いたいことを言わして黙ってるなんて、私の流儀に反しましたが、悪いのは自分だし…とドッ
プリと落ち込んで部屋に引き上げると、間もなくしてその子が部屋にやってきたのです。「ねえ、ここでTV見てもい
い?」「…いいけど」まったく何を考えてるんだか…。軽い世間話をしていると、またもやノックの音。「大丈夫?」ジュリア
でした。「ちょっと、あなたは邪魔しないでさっさと寝なさい」すると「だって、彼女ホームシックみたいなんだもん」
え…?誰が? でも、私にはわかっていたんです。彼女は自分の言ったことが心配になって、私の様子を見にきたって
ことを。それから私はこの子がとても好きになりました。口はたしかに悪いけれど、心のやさしい子だってことがわか
ったからです。それに、来たばかりで落ち込んでいる場合じゃありませんでした。ジュリアは娘に何も言いませんでし
たが、彼女もすべてを把握していました。この出来事は家族とのコミニュケーションの突破口になったのです。
 家にある物すべてがとても古いものばかりで、高価なだけでなくとてもきれいに磨かれていました。毎日使うフォー
クやナイフも100年以上経っている銀製品で親から譲り受けたものでした。お皿もかなり古いものと聞いたとたん、落
とすのが怖くて拭けなくなりました…。週に一度はお掃除をしてくれるお姉さんが来ていましたが、それでも埃がほと
んどないのは不思議でした。
              

 ある朝、いつものように学校に行く前に上の子の髪の毛を編んでやっていると、彼女の着ていた大きなシャツの襟
に目が止まりました。「ねえ…このシャツいつ買ったの?」おそるおそる聞いた理由は、かなり擦れて白くなっていたか
らです。「もう、ボロボロでしょ。お父さんのをもらったから」それは決して品質の良いものでもなければブランド品でも
ありません。日本でいえばスーパーで980円で売っているようなシャツでした。「うーん…」私は唸ることしかできませ
んでした。そして娘たちは家からランチを持参しますが、それがビックリ。向こうではポピュラーな緑色の小さなリンゴ
ひとつに、これまた小さな袋のお菓子ひとつ。「学校でもっとなんか食べるんでしょう?」「なんで?これだけよ」「うーん
…」どうもイギリス人は小食らしい。だけど、なんであんなにデカいの?その答えはすぐにわかりました。皆甘いものが
大好き。しょっちゅう甘いティーにお菓子を食べるんです。
 食事といえば、イギリスで有名なのはフィッシュ&チップス。私はこれが大好きです。ビネガーをたっぷりかけてアツ
アツのを頬張るのがなんとも言えません。それでも毎食というわけにはいかず、家では出ません。イングリッシュブレ
ックファーストというのがあって、B&Bなんかに泊まると出てきます。パンにソーセージにベーコンにスクランブルエッグ
に…いろいろなものが付いていますが、普通の家庭の朝食では滅多にお目にかかれません。これは日曜日だけでし
た。普段は本当にパンとコーヒーだけ。でも、自家製のいろんな種類のジャムがご馳走です。慣れればそれで十分で
すが、初めはちょっと驚きました。そして失敗しました。どうしてもサラダが食べたくて野菜を洗っていると、「どうする
の?」「サラダです」「それは夜食べるものなのよ」郷に入れば郷に従え…です。こんなことは序の口です。国が違えば
すべてが違う。ひとつづつ習っていくしかありません。とりあえず一年しかいないのですからイギリス人になってみる
のもいい、と感じていました。
                     
 でも…「水を大切に!」 これは最低心に留めておかなければなりません。日本では水を流しっぱなしで食器を洗うの
は普通のことですが、これは重罪です。「もったいないでしょう」そうです、そのとおりですが…。大きいシンクと小さい
シンクがあるのはなぜだろうと不思議に思ってましたが、片方は洗剤を入れて洗う方、もう片方はゆすぐ方。でも、ゆ
すぐ方はすぐに洗剤まみれになるし、やっぱり最後にはきれいなお水で流したい。でも、しないんです。これは私にと
ってカルチャーショック以外のなにものでもありませんでした。信じられませんでした。こっそり目を盗んで洗ったもの
です。同じイギリスに留学したことのある友人にそのことを話したら、「そうそう、そうなのよ。私の友達なんて、スープ
ついだら泡がブクブクいったって」うそー! 私は真剣に考えました。体に悪くないの…? でも皆ずっとそうやってきている
んです。私はできるだけ食器洗い機に入れる努力をしました。
 たしかに日本に比べれば家庭料理のバラエティーも少ないですが、一歩外に出ればなんでもあります。私は昼は
皆のいない時にインスタントラーメンを作って食べていましたし、よく中華料理店やカレー屋にも顔を出していました。
私はお米はなくても我慢できますが、麺類がないと死んでしまうんです。しかも、あまりパンは好きではない。しかし、
中国人の経営する中華料理店ではほとんどラーメンは食べられません。一度ソーホーで食べてみましたが、まるで
ゴムのようでした。そこでこちらなら100円で買えるインスタントに400円も出す…というハメになります。
 食べ物にも着るものにもあまり興味を示さず、古いものを大切にする。これがイギリス人です。ある日、こんな質問を
してみました。「ヨーロッパの人とアメリカ人とどうやって見分ければいいの?」そう、私たちには白人の区別は難しい
からです。これはアジア人に対して反対のことも言えますが。「簡単よ。原色の洋服を着ていたらイギリス人じゃな
い、アメリカ人よ」…なるほど。
 日にちが経つにつれ、このイギリス人の生活が非常に理に叶ったものに思えてきました。というより、日本人がいか
に贅沢をしているのか身にしみて感じました。食べきれないほどお皿にのせて平気で残す、まだまだ着れるものでも
新しいものを買ってしまえばどこかにいってしまう、買い物をすれば幾重にも無駄な包装紙…数え上げればキリがあ
りません。これは国が違うからと言って許されることなんだろうか…すっかり考えさせられました。帰国して、自分のお
皿や器に盛られたものは絶対に残さなくなったので、親は驚いていましたが、ラーメンのスープまで飲み干す姿を見
て言いました。「もしかしたら体に良くないんじゃない…」
もうひとつ。向こうでは人が接触することを嫌います。お店の中でもちょっと触れれば「Excuse me!」が当たり前。
しかも何といってもレディファーストの国です。ドアが自動ドアのように開くことに慣れて帰ってきた時、ある店に
入ろうとしたら突然後ろから男の人に突き飛ばされて割り込まれました。もう、頭から湯気の出るくらい腹が立つった
ら…。日本の人は余裕がないんだな、とつくづく感じました。この時期、私は日本人でもイギリス人でもなく、
エイリアンにでもなった気分でした。
 小さい頃にピアノとバイオリンを習っていたおかげで、久しぶりにここでまた弾くことができました。この家にない楽
器はありません。ジュリアはチェロ担当、お父さんのマルカムはピアノとバイオリン、上の娘はトランペット、下の娘は
素晴らしい声をもっています。週に一度、夕食の後に一家が揃っての演奏会。私も加わるべく昼間誰もいない間に一
生懸命練習したものです。まさにイギリスに来たんだ…と感じた時間でした。
また、念願の乗馬にも通いました。万が一英語が通じないと悲劇なので、個人レッスンを受けました。最後の日は
リッチモンド・パークの緑の中を鹿と一緒に思いっきり駆けたのを昨日のように思い出します。


-リビングルーム-
寒い夜は暖炉に火がともり、皆が集まってきます。



    


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