もしかしたら私と同じようにエジプトやインドに魅かれている人たちも同様かも
しれませんが…うまく説明することはできないのです。
何がキッカケで興味を持つようになったのか、昔から思い出そうとしているのですが、
一向に思い当たるフシがありません。それで結論としては、非常に短絡的ですが、
たぶんその時代にそこに住んでいたのだろうと考えることにしました。
私は昔から
歴史が大嫌いでしたし、昔だれが何をしたかということに全くもって
無関心でした。
全然違う分野の大学に入ってから三年ほどたったある時、急にエジプトの古代に
目覚め、卒業したら再び専門の学部で勉強したい…などと思い始めたのです。
しかし親の反対などもあり、それならば働きながら自分で勉強すればいいと考えました。
学校とは違って、自分の知りたいと思うことを学ぶことは本当に楽しいことばかりでした。
休日を使ってレクチャーに通い、 お給料は片っ端から本に化けました。ただ、いつかは
エジプトに行きたいという思いから、そのための貯蓄も忘れませんでした。
今になっていろいろなことを振り返っても、やはり紀元前にあの土地に住んでいたのかも
しれません。
エピソードは、これからのお話で…。
実はKiya(キヤ)という人物は歴史上に存在した重要な女性です。
何年も前になりますが、私がエジプトに興味をもち、ひととおりの歴史を把握
した頃、その時代を舞台にした小説が書きたくなりました。現代と古代が交錯
したお話でしたが、古代に生きる主人公の女性の名前を考えていた時、ある日ふと
思いついたのがキヤという名でした。恥ずかしいので、ここでは小説のことは
詳しく書きませんが、時代は新王国時代でツタンカーメンとキヤは母子という
設定でした。この話は一ヶ月ほどで書き上げましたが、その間は夜仕事から
帰ってくるとほとんど眠らずに朝まで机に向かい、そしてまた仕事へ…という
毎日が続きました。まるで考えなくても思い浮かんだものをそのまま文字に
していく、という作業でした。その時私はスポーツクラブのコーチをしており、
かなり肉体的にはハードであったにかかわらず、完成するまでずっと疲れること
なく、かえって体にはエネルギーが満ち溢れているような気がしていました。
なるほど、好きなことをしている時はそういうものなんだ、と感心もしましたが、
ところが…です。
それからまた何年か後にある本を読んでいた時、そこにキヤという名前を
見つけたのです!血の気が失せていくのが自分でもわかりましたが、
「…偶然、偶然」と自分に言い聞かせて尚も読み進めていくと…キヤは
アクナトンの愛人であり、ツタンカーメンを生んだ女性、と書かれていました。
私のお話の中でのキヤもアクナトンに思いを寄せ、ツタンカーメンを生みます。
なぜなら、私自身がずっとアクナトンが大好きだったからでした。
これは本当の話です。皆さんがどう感じるかはわかりませんが…怖くなって
きたので、私はもう考えるのをやめました。
その小説は仲のよい友人の何人かに読んでもらい感想を聞きました。
義理でもおもしろいと言ってもらえるのはうれしいものです。その後調子にのって、アクナトンを主人公にした歴史小
説に挑戦しましたが、未だに未完成のままです。
こんなわけで、彼女と私がどんな関係にあるのかはわかりませんが、あえて彼女の名前を使わせてもらうことにしま
した。(たしかに、ちょっと迷いましたが…)
当時はまだジャンボも飛んでおらず、現在のようにたくさんの日本人も訪れてはいなかったので、いくら自分の貯めた
給料で行くとはいえ、親を説得するのに苦労しました。以前に試合で海外へ行ったことはありましたが、自分で望ん
だ旅行はこれが初めてでした。「…なんでエジプトなの」「他のところじゃだめなのか」という集中砲火をなんとかかわ
して、やっとお許しが出ました。たしかカイロまでは28時間ほどかかったような気がします。しかもエコノミーは本当に
狭く、普通に座っただけで、膝が前の座席にくっつくという具合です。私は決して足が長い方ではないので、どの程度
かは推して知るべし…です。バンコックとバーレーンで二回のトランジットがあり、そのたびに飛行機から降りて空港
で待たなければなりません。それでもエジプトに向かっているというだけで、私の心はすでにどっかへ行ってしまって
いました。
さて、飛行機はもちろんエジプト航空。すでにエジプトを連想させるデザインの機
内、もちろんエジプト人のスチュワーデスとスチュワード。そこで初めて、そう言え
ばエジプト人ってかつて見たことなかったことに気づきました。やはりしつこい顔
立ちに間違いはありませんでした。
初めての飛行機の災難はバーレーンで起こりました。空港で出発を待っている
と、なんと機長が急病で、バンコックから代わりを呼ぶために7時間も足止めをくっ
たのです。まあ、無事にバーレーンに着いたということに感謝しなければならず、
はじめのうちはツアーの皆も配られたコーヒーで談笑を交わしていました。しか
し、いくら待っても出発時間の表示はされず、空港から出るわけにもいかないま
ま、とうとう朝になりました。予定では明け方にカイロに到着し、朝からは博物館
見学でした。まあ、こんな非常事態ではしかたのないことでしたが、おかげで本
来なら真っ暗で砂漠など見えないのにカイロまでの空路は威厳に満ちた景色を
堪能することができました。それはとても不思議な景色でした。対象物が何もな
いので、遠近感がなく、自分が果たしてどのくらいの高さを飛んでいるのか、まっ
たくわかりませんでした。
ところが、実際には景色など見ている余裕など、私にはまったくなかったのです。
バーレーンを発つ時、窓際に座っていた私は、ふと横の翼に目をやりました。
すると、整備員のおじさんが何かを手に持ってしゃがみこみ、ガンガンと叩いてい
る姿が見えたのです。小さな窓に鼻を押し付けるようにして、彼が何をしているの
かを見極めようと思いましたが、どう考えても修理以外には考えられません。
他の人に言っていいものか迷っているうちに、何事もないかのようにアナウンスが
あり、あっというまに空の上に上がってしまったのです。どうやらこの事実を目撃し
たのは私だけのようでした。カイロまで7時間あまり…とても眠れそうになく、気の
せいか、翼がペラペラと今にも剥がれ落ちそうな気までしてきたのです。まさにミ
ステリー・ゾーンの翼の上の悪魔を見たようでした。万が一の場合砂漠の上だと
どうなるんだろうか…とか、余計なことまで考える始末。あまりに長いこと外を覗
き込んでいるので、隣に座っていた友人が「どうしたの?」と尋ねてきました。
そして、しかたがないのでこのことを話すと、私と彼女はカイロに着くまでずっと、
目をギンギンにして翼を見つめ続けたのでした。
当時は成田からカイロまで28時間もかかる長旅でしたが、翌年からジャンボ機が就航になり、現在では直行便まで
あります。しかし、そんな怖い体験を経ても、私はまたもや次の年にエジプトを訪れます…。
何回訪れても、カイロ空港に降り立った時はいつも複雑な気分になります。それこそドキドキしながら、初めてタラップ
の上に立った時、思わず口をついて出た言葉がこれでした。
「…帰ってきた」
自分でも驚いたくらいですが、まあ今までの思い入れもあることですし、あまり気にはしませんでした。しかし、カイロ
のホテルに着くと、いきなり身なりの良い外国人にペラペラと訳のわからないことを話しかけられた時には、かなり閉
口しました。どう見たって日本人のツアー客のひとりにしか見えないはずだし、私自身は以前にフィリピンで現地の人
と間違われた経験こそありますが、まさかホテルで「カイロに住んでいるんですか?」 などと言われる覚えはまるであ
りません。もちろん、英語で日本人だと説明しましたが、相手は何を考えているのか笑うばかり。
すごく気味悪かったです…。
とにかく、何だったんだろうと頭をひねりながら、皆と観光に向かいました。
王家の谷を見終わり、添乗員が例にもれず、私たちを一軒のお土産屋さんに連れて行きました。私はバスの一番
後ろに座っており、心の中では「降りるの面倒だな」と思いつつ、皆が降りてからやっと腰を上げました。バスのドア
から降りようとすると、店の前にいた何人かのエジプト人たちが一斉にこちらを振り向きました。
ややバツの悪い思いで愛想笑いを浮かべながら降りると、奥からそこの主人らしき
体格の良い男の人がゆっくりと出てきたのです。そして、私の前でうやうやしくお辞儀を
して、自分の名前を名乗りました。そして、私の名は何と言うのかと尋ねました。
どうして名乗らなきゃならないのか、とんと検討もつきませんでしたが、これも礼儀の
うちかと、しかたなくファーストネームを告げると、次は私の手を取って店の中へと案内
されることとなりました。もうこの頃には半分恐ろしく、私は必死で添乗員の姿を
探しましたが、こんな時にかぎって見つからないのです。
突き当たりに連れて行かれると、どこからか椅子を持った人が現れ、座らされると、
今度はお茶が出てきました。あのエジプトの甘いティーです。しかし、それを知らない私が
半信半疑でクンクンと匂いを嗅いでいると、「モテてるじゃないですか」と能天気な声が
聞こえました。やっと添乗員の登場です。「お茶ですから大丈夫ですよ」
とっても大丈夫という気分ではありません…。「他の人ももらったんですか?」と聞くと、
「いいえ」と無常なお答え。しかも、店の人が全員私の周りを取り巻いていて、
とても落ち着いてお茶なぞ飲む雰囲気ではないのです。すると主人が言いました。
「手を出して」…手?「片手ではなく、両手」おずおずと差し出すと、カゴの中から
あふれて落ちるほど売り物のスカラベを落としました。「お友達はいますか?」
私はわからないままに友人の名を呼ぶと、彼女の手にもスカラベが握らされていました。
もちろん高価な物ではありませんが、私はとにかく何かひとつは買わないとマズいと
思い、「あの、買いたいものがあるんだけど…」と言うと、主人は満面の笑みを浮かべて言いました。
「どうぞ、お好きなものを」やっと解放されてホッとし、アラバスター製のネフェルティティの像を見つけて「いくら?」と
尋ねると、驚いたことに主人はこう言ったのです。「いくらでも結構です」エジプトでは高くふっかけられるので値切って
買うのが鉄則、と聞いていたので、私は信じませんでした。そしてもう一度同じ質問をしました。すると、
「どうぞ、そのままお持ち下さい」
そう言われて、ハイそうですか、というわけにもいかず、私は適当にお札を何枚か突き出すと慌ててバスを目指しまし
た。最後に待っていたのは、バスに続く花道でした。店員たちが列を作り、主人は再び私の手を握って言いました。
「来て頂いて光栄です。またお会いできる日を楽しみにしています」
他のツアーのメンバーの手前もあり、私は恥ずかしくてしかたありませんでした。
これはエジプト風の歓迎の儀式なのか、ここでは珍しいことではないのか、私には一向にわからず、ただ戸惑った
一日でした。しかし、程度の差はあれ、旅行の間ずっとこんな珍現象は続いたのです。
例えば店に入ると、店の人が客の接待をしている最中にかかわらず、必ず飛んできてえらく親切にしてくれ、毎回
買ったもの以上にお土産を持たされました。しばらくすると、どうやら私にだけ起こってる現象らしいと気づきました。
旅の途中からは開き直り、もらったものは皆で分けることにし、オバサンたちの買い物に付き合って、私が値切る役と
なりました。
さて、次はルクソールで泊まったホテルでの出来事です。
そこはかなり古い由緒あるヴィクトリア調のホテルでした。部屋は続き部屋で、昔は召使いが泊まったであろう部屋と
ドアでつながっていました。ベッドには天蓋があり、真っ白なレースで覆われていました。窓を開けると、すぐ前にはナ
イル川と王家の谷がそびえ、文句のつけようのない部屋だったのです。
友人はこの天蓋が「気持ち悪い」と言って、わざと避けて眠りましたが、私はとにかくうれしくて、王女にでもなった気
分でした。
朝早く、モーニングコールを受け取った友人に起こされて、「眠いねぇ」と言いながら
体を起こした時でした。鈍痛を右腕に感じたのです。初めは、重い荷物を持ったための
筋肉痛かとも思いましたが、よくよく考えてみれば、そんなもの持ってはいませんでした。
いつもポーターが部屋まで運んでくれたからです。どうしたんだろうと、腕を触っているうち、
薄いアザのようなものが目に入りました。それはあたかも、ものすごい力でギュッと
誰かに掴まれたように指の跡が点々とついていたのです。
友人はもちろん私に尋ねました。「ゆうべ、なんかあった?」「…覚えてない」
アブシンベルは私の楽しみにしていた場所のひとつでした。ユネスコによって
引き上げられた遺跡がどんなに大きいのか、「ナイル殺人事件」で見たラムセス像は
どんな風なのか、早くこの目で実際に見たいと、ワクワクして向かいました。
気温は50度近くもあり、話していると口の中の水分が蒸発してカラカラになり
しゃべれなくなります。それでも日陰は結構涼しいので驚きました。
大神殿の前には「ナイル殺人事件」で初めて見た四つの巨大な像。(ひとつは
崩れていますが)ここでは何もかもが大きいのです。
大神殿の中に入った時、私は奇妙な気分に襲われました。
突然胸が苦しくなったかと思うと、洪水のように目から涙があふれてきたのです。
それでも、なぜかもうひとり冷静な自分がいて、なぜ泣いているんだろうと考えて
いました。そして、奥の部屋のひとつで佇んでいるところを友人に発見されました。
そこは昔供物を捧げたであろうと思われる何もない小部屋でしたが、なぜか私には
離れがたいものがありました。
すべて気のせいだとすませてしまえば、すんでしまうことなので、これ以上は書きませんが、エジプトに行くたびに
なにやら奇妙だと思われることが起きるのは、事実です。
それでも、たぶん「なぜなのか」という私自身の疑問は解けないままなのでしょう。
Copyright(C)2004 GoblinMyth All right reserved.
|