A friend of mine, Gamal !
再びナイルへ






Gamalと出会ってから、すでにウン十年もたちます!
初めてエジプトを訪れた時の現地ガイドでした。中近東の男としては珍しく誠実でおとなしい印象を受けました。彼は
初日から私を「クイーン」と呼び、頼むからやめてくれと涙ながらに懇願したものでした。なぜならそのおかげで、
ツアーのおばさんたちに毎日のようにからかわれていたからです。とにかく求婚はされましたが、マジめに受け取る
はずもなく、親からは「なんともキトクな人がいるもんだ、ところ変われば…だな。ハッハッハッ」」と大笑いされ、
少なからずも傷ついた私でした…。
それから毎年クリスマスカードを送り合ったりしていましたが、また最近メールを交換するようになり、今ではかなり
大きな家に住んでいるらしいことを知りました。彼はベテランで五ヶ国語に通じ、博物館でも仕事をしているらしいの
で、当然といえば当然かもしれません。

     
Gamalと三人の娘さんたち

余談ですが、エジプトでの求婚話と言えば、アブシンベルで一向にこない飛行機を待っていた時に別のエジプト人に
も第二夫人にならないかと言われたことがあります…。まったく、なんの因果で二番目なの?と腹を立てている私に
追い討ちをかけるように「ラクダ100頭を持参金につける」と言うのです。う〜ん、どういう相場なんだろう…。そこで
少しからかってみることにしました。「ゴールドならちょっと考えてみてもいいけど」すると、真剣な顔でしばらく何やら
考えていましたが、やがておもむろにこう言いました。「では、200頭に増やそう!」

そんな話とは関係なく、本当にこのままエジプトに残ってずっとここで暮らしたいと思ったことが何回もあります。
それでも毎回帰国して現在の人生を歩んでいる今、もしあの時…と時折考えることがありますが、エジプトに残らな
かった原因がひとつありました。「ここで食事を作る時は、生きたニワトリを買って来て頭をひねるところからだよ」と
教えられたからです。そんなつまらないことで人生の岐路で道を選んだのかと思うかもしれませんが、それは私を
現実に引き戻す言葉でした。感傷だけでは生きて行けません。日本で生まれ、日本で不自由なく育った私には、
ニワトリだけでなく、もっとたくさんのカルチャーショックがあるはずなのです。本当にそういうところで暮らしていく覚悟
があるのか…。そして、親の顔も浮かんできました。長い間考えてみましたが、残念ながら私にはその勇気もなく、
まだまだ日本でやりたいこともあったので、その野望は封印しましたが、たとえエジプトに住んでいなくとも私の思い
に変わりはありません。心はいつも好きな時にエジプトに飛んで行けるのです。




私がエジプトで何を見、何を感じたかったのか…。それは偉大な建造物ではなく、古代の人々の残した香りでした。
王家をはじめ、そこに住んだ普通の庶民が何を感じて生活していたのか…そこに行けば必ず何かがわかるに違い
ないと思ったのです。
現代のエジプト人は私にとってはエジプトではなく、喧騒の中に住む現代人です。それでも、町の中には多くの遺跡
が依然と姿を残し、主張しているのです。
この不思議な世界に入ると、空気が二分されていることにいつも感銘を受けます。そして、ここは私の安らぎの場所
でもあるのです。

私がいつも必ずすることは、ルクソールのナイル川の岸に座って夕日を眺めることです。かつて人々が信じていた
こと、それを考えながら大きな太陽を見つめていると、私にもそれが正当で正しいことと思われてくるのです。
こんな時、本当にタイムマシンがあったら…と本当に思ってしまいます。

最後に訪れた時、奇しくもナイル川の水をしこたま飲んでお腹を壊してしまいました。
ナイルの水を飲んだ者はふたたびナイルに戻る
この言葉を信じれば、また私も足を運べるに違いありません。








    


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