ここは日常の中で思ったこと、気づいたことをつれづれに気ままに綴った部屋です。
お読みになった方の中には「そりゃ違うだろう!」とか「なにホザいてやがんだ!」とか
いろいろなご意見があるかとは思いますが、こんなことを考えてみた人間もいる…
ということで、できれば大目にみてやってください。



                                                        →NEXT



 私は外国語を知ることが好きだ。
 言葉は他人とのコミュニケーションをとるためのひとつの手段に他ならないから
、勉強とは呼びたくない。
 他人と通じ合えるものは何も言葉だけではないはずなのに、人は簡単に一言で傷つき、一喜一憂する。
 だから、
私は言葉をできるだけ大切にしている。
 「言わなくてもわかるだろう」というものは、すでに私の辞書には存在しない。
 それは日本人の欠点でもあるかもしれない、Yes,Noをはっきり言わない奥ゆかしさも理解できる。
 だが、そのために誤解を生み、わかってもらえないもどかしさを感じるくらいなら、はっきり物を言って
 嫌われる方
がマシかもしれないと思うこともある。
 しかし、言葉もまた誤解の元になる場合も少なくない。言葉とは本当にやっかいなものだ。
 外国人と同じ言葉を使って話す…ということは、たとえ通じなくとも不思議な安堵感がある。
 自己満足だろうがなんだろうが、少なくとも同じ人間なんだと確認できる。
 それが「コンニチワ」の一言であっても心を開いてくれる突破口になり得るのだ。
 だから、私は外国語をもっと知りたいと思う。

 たとえば、サッカー選手が海外でプレイをする場合、やはりその国の言葉を全力で覚え、母国語と同じくらい
 話せるようになるよう努力するべきだと思う。ましてやサッカーは個人競技ではない。
 「スポーツは言葉が通じなく
とも体で伝えられる」私はイギリスでコーチにこう教わった。
 たしかにそうだった。しかし完璧ではない。自分が
相手にどのくらい望むか、どのくらい信頼してもらえるか、
 そう思い始めたらやっぱり言葉は必要不可欠なのだ。

 スポーツをただ楽しむだけならジェスチャーで十分だ。
 逆に外国人の監督の場合はどうだろう。本当に選手のことを考え、見えない絆というものが存在していても、
 常に第三者を通して間接的に出る言葉と、監督のつたなくとも日本語で直接会話ができるのとでは違うに
 違いない。監督が一生懸命日本語を習っているという事実だけでも信頼度は増さないだろうか。
 私はいつもそれを考えてしまう。よその言葉は難しい。ペラペラになるには時間もかかる。
 聞いた話では、語学も人それぞれ
の才能に依存しているという。
 それでも、私が選手だったら、言葉の壁は大きいと感じるだろう。

 小さい時から英語には親しんでいたが、最近の教育の足元にも及ばない。
 イギリスでホームステイを始めた時、
危うく自閉症になりかけた。
 話しかけられるのが怖くて、食事はお皿の中に顔を突っ込んで食べていた。
 それでも日本人であるがゆえの情けなさで、時折顔を上げてはニッコリと笑って頷いてみせる。
 この時ほど言葉の通じない辛さを感じたことはなかった。孤独だった。
 しかし、言葉とは不思議なもので、本当に知りたいとか通じたいと思えば上達するものだ。
 彼女や彼ができたら
早く上手くなると言われるが、それは真実である。
 私の場合は試験に受かることが目的だったが、本当にそれだ
けなら、きっと未だに英語など満足に
 話せなかったに違いない。
 向こうの家族と親しくなりたい、スカッシュをもっと
知りたいと願ったからこそ…だと思う。
 三ヶ月ほどすると知らぬ間に人の話に笑え、TVのニュースに頷いていた。

 まわりから「最近英語うまくなったねぇ」と言われるようになり、頭の中で間に日本語のクッションを入れなくとも
 理解できるようになったのもこの頃だった。
 本当に自覚したのは、家である事件があり、初めて喧嘩をした時だった。
 カーッと頭に血が昇り、気がついたら5分は一方的に早口で英語をまくしたてていた。私の言った内容より、
 その事実で相手はひるんだようだった。
 これですっかり自信をつけたのは言うまでもない。試験に受かったのは、このおかげかもしれない。


                                       





 生きている間にはいろいろなことがある。
 知らない間に人を傷つけてしまっていること…。たぶん私もたくさんの人を悲しませてきたに違いない。
 それでも
人に傷つけられると、なんで自分だけとか、世界でひとりぼっちになったような悲劇のヒロインと化す。
 そんな時なるべく冷静になって、いったいどうしてこうなったのか、自分の落ち度はなんだったのかと
 一生懸命考えてみるけれど、どうしても思い当たらない時は頭に血が上る…。
 世の中にはいろいろな人間がいて、いつも自分の思い通りにはならないことくらい百も承知だけれど、
 やっぱり裏切られることくらい辛いものはない。
 心を開いて何年も付き合ってきたのに…。
 いや、待てよ。もし、すべてが自分の思い込みだとしたら…それはやっぱり自分の落ち度だ…。
 人間関係とは微妙なもので、こちらから与えた分と同じ量のものが返ってくるとは限らない。
 それは反対の場合もありうる。
 恋愛感情が一番わかりやすいが、その他も大差はない。「期待」というものは魔物だ。
 自分ではない何かに期待をすること自体、間違っているのかもしれない。
 期待さえしなければ、何かを得た時には喜びも倍増する、というものだ。
 でも、そんな人生が果たして良いのだろうか…。楽しいのだろうか…。
 最近はこう思えるようになった。もし、自分が傷ついたと感じた時は、今まで他人を傷つけてきた分なのだ、と。
 こういうものは不思議と公平に分け与えられる。それを感じるか感じないかはそれぞれだけれど…。
 できれば感じない方が生きていきやすいのかもしれないけれど、もし問題に直面して傷ついていることを
 自覚するしか成長する道がないのなら…耐えるしかないのだろう。
 ふと気がつくと、結構他人を信じていない人が多いことに気づく。
 表面の付き合いだけではわからないが、人に心を開くことをとても恐れている人間は多い。
 私よりきっと繊細か、さもなければ臆病かのどちらか、だ。
 お互いに心を開かなくとも友達関係にはなれるけれど、今までの経験上やっぱり裏切られるのは
 こういう人たち
だ。
 でも、私はそんな人たちを恨んではいない。ただ、哀れだと感じるだけだ。
 ずっと自分だけの世界で生きていかなければならないし、避けていてもいつか味わう孤独にも耐えなくては
 なら
ない。
 どっちにしろ、私には何もしてあげることはできない。私には私の人生があるように、
 皆にもそれぞれの人生があるのだから。そして、自分自身でやってみるしかないのだから…。
 良いことも悪いこともあるのが人生なのだ。環境だけでなく、遺伝子や魂の違う人間と共に生きていく以上、
 なんとか折り合いをつけなければならない。
 しかし、ひとつだけ言えること…どんなことがあっても、私は他人を信じること、自分を信じることをやめたくない。


                                        





 小学校に入る前から、ずっとスポーツに携わってきた。水泳、走り幅跳び、砲丸投げ、軟式テニス、
 そして…スカッシュ。
 自分ではスポーツの才能を持ち合わせているとはちっとも思っていない。ただ、負けることが嫌いだっただけだ。
 勝ち負けが明瞭で、体を動かすことも嫌いじゃない。だから長い間スポーツと付き合ってこれたのだと思う。
 スポーツの世界はハタから見るほど、清清しいものではない。もし、そう思っている人がもしいるのなら…だが。
 基本は勝つために皆が凌ぎ合う世界だ。
 推して知るべし。スポーツマンという言葉には、どこか華麗な響きがある。
 観衆もそれを望んでいる。そして本来はそうでなくてはならない。スポーツの実力と人間性の両方を
 評価されるべきなのだ。
 何事でもそうだが、トップを極めることはそう簡単なことではない。
 私はずっと万年二位だったから、母によくこう言われた。
 「二位以下は百位と同じよ」
 たしかに、二位だった人のことなど誰も覚えてはいない。優勝した者だけ
が後々まで語られるのだ。

 イギリスから帰国して選手を育てていた時、私は皆によくこう言った。
 「スポーツバカにだけはなるな!」
 勝負の世界では相手のことを考えていたら話にならない。しかし、他人の気持ちを汲み取ったり、
 相手の立場になって考えられなければ生きてはいけない。
 一生スポーツに関わっていたとしても、それは人間として必要なことなの
だ。
 その相反することをどう教えればいいのか。強い選手と立派な人間は両立するのか…。
 いくら強くてもわがままで自分勝手な選手もいれば、一歩外へ出ると温和で人にやさしい選手も存在する。
 個人の持っている
資質も大いに関係することではあるが、私は絶対に誰でも両立できるのではないかと
 考えていた。そして、幸運
にもそれをイギリスで学ぶことができた。
 プロとしての試験に受かったことより、それを得たことの方が何倍も価値
のあることだった。

 「切り替え」…これは、なにもスポーツだけではなく、すべてのことに共通することである。
 世の中には切り替えの
下手な人間がたくさんいる。なにを隠そう、この私のことだ。
 人に教えることより先に自分をなんとかしなければならない。しかし、日頃の訓練で不可能なことではない。
 イギリスのクラブ対抗戦で、相手の選手たちにたくさん
お手本を見せてもらった。
 私は外国人だったから、皆親切にしてくれた。ロッカールームへ連れて行ってくれたり、
何かと細々と世話を
 焼いてくれる。それも満面の笑みで。しかし、一歩コートの中に入ると般若の面に変わる…。

 それはまるで二重人格のような変わりようで、私はすっかり面食らった。
 日本人のように中途半端な変化ではなく
マナー違反スレスレの態度に、試合中私は何か悪いことでも
 したのだろうか…と余計なことを考える始末。
 そして試合が終わり、握手を交わした途端、相手は再び元の笑みに戻り、私のプレイを褒めてくれた。
 一緒に食事をしている間も側に座り、楽しいひとときを過ごした。
 驚いたことに、こういう状況は何も彼女に限った
ことではなかった。
 次第に何が起こっているのか理解できた時、自分も実際に真似てみようと思い立った。  
 すると、雑念が一瞬で消え去った。ただ試合だけに集中できた。
 もしかしたら、ガラの悪い日本人だと思われなかったか…などという心配など無用だった。
 こんなことはトップクラスのスポーツ選手であれば当たり前のことかもしれないが、通常はなかなかできない
 ものなのだ。私は後に選手たちにこう教えた。
 「コートの中ではマナーぎりぎりなら何をやってもかまわない。勝つことだけを考えろ。愛想笑いなんかするな。
 だけど、一歩外に出たら、ひとりの人間として恥じない態度をとれ。人にやさしくしろ。
 大丈夫、そうすれば嫌われ
ることは絶対にないから」
 日本人はとかくいろいろと気にすることが多いのだ。
 しかし、皮肉なことにそれを得てからというもの、クラブで誰を相手にしても、たとえ男性であっても
 私は負け知らず
になってしまった。選手の時にできていれば、もっと楽に試合ができただろうとは思ったが、
 それでも遅すぎるということはない。大きなお土産ができてうれしかった。

 人間としての完璧さを身につけることは不可能に近いし、一朝一夕には無理に決まっている。
 しかし、少しでも願
望を持ち続けることこそ、成長の第一歩だと言えると思う。

                                





 世の中には不思議なことがたくさんある。
 それを科学の力で全部説明できると思っている人がたくさんいる。
 だけど、ちょっと待って。人間という生き物はそんな万能の神なのか…。たしかにデッチあげも多いし、
 凡人である
私なんかはつい何でも信じてしまうけど、自分では体験したことのないことには興味をそそられる。

 何を隠そう私の母は見えないもの…つまり霊の見える人だった。
 小さい頃からいろいろな話を聞かされ、過度でない程度に神様や仏様を敬い、死後の世界もあると
 信じていたようだ。
 旅行から帰ると、三回に一回はこう叫ぶ。
 「ちょっと、お塩持ってきて!」
 そんな時は好奇心を抑えきれずに貴重な体験話を聞くことになる。
 しかし、あまり毎度毎度のことなので母が言いたい時だけ聞くようになってしまった。

 今でも覚えている話がふたつある。
 母がとある古い旅館(←お決まり)に泊まった時のことだ。夜中に何かに起こされてふと襖を見ると、
 その前に
ひとりの 女の人が座っていた。またか…と思い、「どうしたの?どうしてほしいの?」と尋ねると、
 朝まで延々と身の上話を
聞かされたという。内容に関しては結構ありふれたものだったのか、
 あまり覚えていないが、母は最期まできちん
と聞いてあげて、成仏するように説得したらしい。
 そんなに珍しい話ではないが、女の人の様子があまりにリアル
だったので記憶に残っているのだろう。
 もうひとつは、家での出来事だ。
 私が高校生の時、母はある人と仲良くなった。その人も霊感を持っていて、彼女が初めて家に来た時、
 突然階段
の前で立ち止まって私にこう言った。
 「だれかがいつもこの一番上に座ってるでしょう。あまり良くないことだからやめなさい」
 そう、私のことだ。その場所に座るのが大好きで、二階で電話をかける時もよくそこに座って話してい
た。
 何ヶ月か経って、母は彼女とひどい喧嘩別れをしたと言っていた。そうか、だから最近家に来ないのかと納得。
 その直後、私は友人たちとスキー旅行に行った。父も出張で、家には母ひとりだった。
 私が旅行から帰ると、母の
様子がいつもと違う。理由を尋ねてみると、どうやら夜中に何かあったらしい。
 ふと体が重く感じて目を開けると、
大きな山犬のようなものが上から四つん這いで母の顔をじっと覗きこんで
 いたという。抵抗しようにもものすごい力で押さえつけられていて身動きができない。
 そして大きな口をあけて、母を睨みつけた。
 目をつぶってお経を唱えていると、突然ふっとかき消すようにいなくなった。
 母はこれが彼女の生き霊に違いないと確信していた。
 ふだん滅多に怖がらない母がかなり怯えていたところをみると、相当怖かったらしい。
 そんな母を見たのは後にも
先にもその一度だけだった。
 母は誰よりも現実的な人間だった。常に冷静で自分を見失うこともないし、自分自身にも厳しい人だった。
 反面、神棚や仏壇もいつもきれいにし、
 「目に見えないものを信じなくてもいいけれど、あなたが今存在するのはご先祖様のおかげなのだから、
 仏壇にだけはちゃんとお参りしなさい」といつも言っていた。
 霊が本当に存在するのかどうか、私には見えないからわからないが、少なくとも母が妄想をみるということは
 考えにくいし、また私に嘘の話をする理由もない。
 なぜなら、霊が見えることを母は歓迎していなかったからだ。

 ついでに、私の体験もふたつ。
 大学を卒業した冬に田舎で祖母が亡くなった。
 お通夜の晩に私と従姉妹たちは家に帰されて祖母の部屋で寝るこ
とになった。
 私はほとんど祖母と会ってはいなかったので、ひとりで部屋に入ると祖母に詫びた。
 「お祖母ちゃん、
会いに来なくてごめんね」
 すると、縁側の方の障子がカタカタと大きな音をたてたのだ。「…お祖母ちゃん?お祖母
ちゃんなの?」
 するとまたカタカタカタ。怖いというよりも胸がいっぱいになった。
 その時もうひとりの祖母が布団を運んでくれていたが、入ってくると鳴り止む。
 出て行くとまたカタカタと音をたてるのだ。なんだかうれしかった。
 朝になってそのことを叔母に言った。「昨日は木枯らしが吹いていたから風だったかもね」
 すると、叔母は黙って立ち上がるとさっと障子を引いた。
 「年寄りの部屋だから隙間風が入らないようにつけたのよ」
 障子の外には頑丈なサッシがついていた。
 「風なんか入ってくるわけないし、障子が鳴っているのなんか今まで聞いたことないわよ」
 皆は一斉に沈黙した…。

 もうひとつは、とにかく今まで出一番怖かった話だ。
 スカッシュの大会で東京近郊に何日か泊り込むことになった時のことである。
 連泊の予約がとれなかったために、毎日ホテルを変えなければならなかったが、それは最後の夜のこと
 だった。
 ふたりのスタッフと私が疲れ果てて、そのビジネスホテルに着いた時はすでに夜中に近かったと思う。
 各々がシングルルームの鍵を受け取り、エレベーターで同じ階の部屋へ上がっていった。
 廊下で「じゃ、明日ロビーで」と言って部屋の鍵を開けようとしたが、その時なぜだかとても嫌〜な気分に
 なった。
 言葉で表すのはとても難しいのだが、とにかく足が入ることを拒否しているかのように頑として動かない。
 生まれて初めての経験だった。
 まわりを見回したが皆はすでに部屋の中。一刻も早くベッドに横になりたいという気持ちもあって、
 大きく深呼吸をすると無理やり自分を中に引き入れた。
 手前にバスルームがあり、奥にベッドと小さなデスクのある普通の部屋。
 少しホッとしたが、嫌な気持ちはおさまるどころかますますひどくなる。
 私はまず一番気になっていたバスルームを勇気を出して開けてみた。とかく、水場は要注意だからだ。
 なぜかシャワーカーテンが閉まっていたので「…なんでよ」と言いながら一気に引いてみる。
 何もない。(当たり前だが)
 部屋中の電気を手当たり次第につけて、ベッドの上に腰掛けて気分を落ち着かせようと努力した。
 何が原因なんだろう、この胸に重くのしかかるものは…。少しでも寝ておかなければ、明日はとてももたない。
 とりあえず着替えよう。そう思って、上着を脱いでバスルームの向かい側にある衣装ダンスの扉をあけた。
 すると
そこには奇妙なものがあった。
 しばらくわけがわからずに私はそれらをポカンと眺めていたが、すぐに電話に駆け寄っ
た。
 「フ、フロントですか?…すみません、XXX号室ですけど、この部屋、誰か他の人の部屋じゃないですか?」
 「ちょっとお待ち下さい。…えーと、いいえ、間違いはありませんけど」
 「とにかく、すぐにこっちに来てもらえますか!…洋服があるんですよ!」
 そして、ホテルの人が来て、タンスの中を覗いた。
 「…おかしいですねぇ」
 そこにはハンガーに掛けられた上着、シャツ、ズボン、下着、フックには野球のキャップ、その下には
 スポーツシュ
ーズまでがきれいに揃えて置いてあったのだ。
 「変ですねぇ、清掃係が入っているので、こんなものあるはずないんですが…」
 「あの、他の部屋と替えてもらえませんか、お願いします」
 「申し訳ありません、あいにくと今日は満室なんですよ」
 そう言うと、洋服や靴をひとまとめにして頭をひねりながら出て行ってしまった。
 何がどうなってるのかわからないのはこっちの方だ。その事実だけだって気持ち悪いのに、
 入る前から感じてたこの嫌な気分…。これではとても寝られるという確信がなかった。
 かと言って他の人たちに部屋を替わってもらうわけにもいかず、朝まではどうしようもない。
 その時、デスクの向こう側に小さな窓がついているのに気がついた。厚手のカーテンが引いてあったが、
 そこに吸い寄せられるように近づくと、そのカーテンには黒っぽいシミが点々とついている。
 ま、まさか血じゃないでしょうね…。考えすぎだとは思ったが、何もないのにこんな気分になるわけがない。
 すると、突然ひらめいた。そうだ、般若心経を持ってきたんだった。母が旅行に行く時に持って行きなさいと
 携帯用の小さな般若心経をくれたのを思い出した。今まで使うことはなかったけれど、今回もちゃんと
 バッグの中に入っているはず。
 私は一刻も早くこの部屋を出たいという気持ちを抑えてベッドの上で正座をすると、
部屋中に響き渡るように
 般若心経を読み始めた。
 五回目が終わった時だった。急にフッと胸が軽くなった。本当にそれは一瞬のことだった。
 今まで怯えていたこなど
嘘のようになにもなくなり、まるで違う部屋に入ったような気持ちだった。
 空気が入れ替わったという感じだ。 

 …とにかく良かった、これで眠れる。万が一のために枕元にそれを置いて朝までグッスリ休んだ。
 話はこれでおしまいだ。真相は今でもわからず、また知りたくもない。
 よく旅行は行くけれど、そんな切羽詰った思いを経験し
たのは初めてだったし、それ以後もまだない。
 それでも、出かける時は必ず般若心経は持参している。
 
 私は結構勘に頼ることが多い。今までの経験から、勘が教えてくれているのにそれに逆らうと、
 かならず後悔するハメになっているからだ。だから、最近は逆らわないことにしている。
 もしかしたら守護神がいるのかもしれないし。
 普段霊とかを信じない人だって、にっちもさっちも行かない時にはつい神頼みをする。
 私には身近に母のような人がいたので特別なことでもないし、逆に興味もある。
 たぶん、それは自分には見えないからだろう。
 亡くなった宜保愛子さんに一度気になっていたことをみてもらったことがある。身体の具合に関したことで、
 あるものが家に来てからだったのだが、結果は霊の世界とは関係ないということだった。
 そして、その時に言われた言葉がずっと心に残っている。
 「大丈夫、必ず良くなりますから前向きに考えなさい。病は生きているという証です」
 目に見えないものが必ず存在しないとは言い切れない。人間の目に見えるものにも限界はある。
 そして、愛情だって友情だって悲しみだって存在するけれど、精神世界も目に見えない。
 人はそれを自覚するべきである。
 霊魂が存在するかどうかは自分が死んでみないとわからないが、私は少なくともあるかもしれないと
 思っている。

 そして、輪廻転生も信じている。今のところまだ自分の中でいくつかの矛盾は解決できてないが、
 それでも人生は
一度っきりと考えるよりは、現世は頑張ってみるけれど、それでもやり足りないことが
 あったら来世に持ち越せば
いいやと気楽になれる。
 今度はどんな時代に生まれるのか、また両親やダンナと会えるのだろうかなどと考える
のも楽しい。
 それにどんな死に方をするかわからないけど思い残しをして成仏できない…なんてことにはなりたくない。
 これは一種の防御線かもしれない。
 UFOや宇宙人が本当に存在するかは、それも見たことがないからわからない。
 しかし、絶対に存在しないという確
証もない。
 宇宙の果てがどこかも知らないくせに、地球だけに生物が存在するとは言い切れないし、
 人間の生み
出す科学なんて狭い地球だけしか通用しないものなのかもしれないのだ。
 見たことのないものをあるとは言えない
けれど、絶対にないなんて言う度量の狭い人間にだけはなりたくない。
 そして、私は人間の目に見えないものの中には、見えるものよりも大切なものがたくさんあると思っている。

                                                    



                                                          ▲TOP

   




Copyright(C)2004 GoblinMyth All right reserved.