世の中には不思議なことがたくさんある。
それを科学の力で全部説明できると思っている人がたくさんいる。
だけど、ちょっと待って。人間という生き物はそんな万能の神なのか…。たしかにデッチあげも多いし、
凡人である私なんかはつい何でも信じてしまうけど、自分では体験したことのないことには興味をそそられる。
何を隠そう私の母は見えないもの…つまり霊の見える人だった。
小さい頃からいろいろな話を聞かされ、過度でない程度に神様や仏様を敬い、死後の世界もあると
信じていたようだ。
旅行から帰ると、三回に一回はこう叫ぶ。 「ちょっと、お塩持ってきて!」
そんな時は好奇心を抑えきれずに貴重な体験話を聞くことになる。
しかし、あまり毎度毎度のことなので母が言いたい時だけ聞くようになってしまった。
今でも覚えている話がふたつある。
母がとある古い旅館(←お決まり)に泊まった時のことだ。夜中に何かに起こされてふと襖を見ると、
その前にひとりの 女の人が座っていた。またか…と思い、「どうしたの?どうしてほしいの?」と尋ねると、
朝まで延々と身の上話を聞かされたという。内容に関しては結構ありふれたものだったのか、
あまり覚えていないが、母は最期まできちんと聞いてあげて、成仏するように説得したらしい。
そんなに珍しい話ではないが、女の人の様子があまりにリアルだったので記憶に残っているのだろう。
もうひとつは、家での出来事だ。
私が高校生の時、母はある人と仲良くなった。その人も霊感を持っていて、彼女が初めて家に来た時、
突然階段の前で立ち止まって私にこう言った。
「だれかがいつもこの一番上に座ってるでしょう。あまり良くないことだからやめなさい」
そう、私のことだ。その場所に座るのが大好きで、二階で電話をかける時もよくそこに座って話していた。
何ヶ月か経って、母は彼女とひどい喧嘩別れをしたと言っていた。そうか、だから最近家に来ないのかと納得。
その直後、私は友人たちとスキー旅行に行った。父も出張で、家には母ひとりだった。
私が旅行から帰ると、母の様子がいつもと違う。理由を尋ねてみると、どうやら夜中に何かあったらしい。
ふと体が重く感じて目を開けると、大きな山犬のようなものが上から四つん這いで母の顔をじっと覗きこんで
いたという。抵抗しようにもものすごい力で押さえつけられていて身動きができない。
そして大きな口をあけて、母を睨みつけた。
目をつぶってお経を唱えていると、突然ふっとかき消すようにいなくなった。
母はこれが彼女の生き霊に違いないと確信していた。
ふだん滅多に怖がらない母がかなり怯えていたところをみると、相当怖かったらしい。
そんな母を見たのは後にも先にもその一度だけだった。
母は誰よりも現実的な人間だった。常に冷静で自分を見失うこともないし、自分自身にも厳しい人だった。
反面、神棚や仏壇もいつもきれいにし、
「目に見えないものを信じなくてもいいけれど、あなたが今存在するのはご先祖様のおかげなのだから、
仏壇にだけはちゃんとお参りしなさい」といつも言っていた。
霊が本当に存在するのかどうか、私には見えないからわからないが、少なくとも母が妄想をみるということは
考えにくいし、また私に嘘の話をする理由もない。
なぜなら、霊が見えることを母は歓迎していなかったからだ。
ついでに、私の体験もふたつ。
大学を卒業した冬に田舎で祖母が亡くなった。
お通夜の晩に私と従姉妹たちは家に帰されて祖母の部屋で寝ることになった。
私はほとんど祖母と会ってはいなかったので、ひとりで部屋に入ると祖母に詫びた。
「お祖母ちゃん、会いに来なくてごめんね」
すると、縁側の方の障子がカタカタと大きな音をたてたのだ。「…お祖母ちゃん?お祖母ちゃんなの?」
するとまたカタカタカタ。怖いというよりも胸がいっぱいになった。
その時もうひとりの祖母が布団を運んでくれていたが、入ってくると鳴り止む。
出て行くとまたカタカタと音をたてるのだ。なんだかうれしかった。
朝になってそのことを叔母に言った。「昨日は木枯らしが吹いていたから風だったかもね」
すると、叔母は黙って立ち上がるとさっと障子を引いた。
「年寄りの部屋だから隙間風が入らないようにつけたのよ」
障子の外には頑丈なサッシがついていた。
「風なんか入ってくるわけないし、障子が鳴っているのなんか今まで聞いたことないわよ」
皆は一斉に沈黙した…。
もうひとつは、とにかく今まで出一番怖かった話だ。
スカッシュの大会で東京近郊に何日か泊り込むことになった時のことである。
連泊の予約がとれなかったために、毎日ホテルを変えなければならなかったが、それは最後の夜のこと
だった。
ふたりのスタッフと私が疲れ果てて、そのビジネスホテルに着いた時はすでに夜中に近かったと思う。
各々がシングルルームの鍵を受け取り、エレベーターで同じ階の部屋へ上がっていった。
廊下で「じゃ、明日ロビーで」と言って部屋の鍵を開けようとしたが、その時なぜだかとても嫌〜な気分に
なった。
言葉で表すのはとても難しいのだが、とにかく足が入ることを拒否しているかのように頑として動かない。
生まれて初めての経験だった。
まわりを見回したが皆はすでに部屋の中。一刻も早くベッドに横になりたいという気持ちもあって、
大きく深呼吸をすると無理やり自分を中に引き入れた。
手前にバスルームがあり、奥にベッドと小さなデスクのある普通の部屋。
少しホッとしたが、嫌な気持ちはおさまるどころかますますひどくなる。
私はまず一番気になっていたバスルームを勇気を出して開けてみた。とかく、水場は要注意だからだ。
なぜかシャワーカーテンが閉まっていたので「…なんでよ」と言いながら一気に引いてみる。
何もない。(当たり前だが)
部屋中の電気を手当たり次第につけて、ベッドの上に腰掛けて気分を落ち着かせようと努力した。
何が原因なんだろう、この胸に重くのしかかるものは…。少しでも寝ておかなければ、明日はとてももたない。
とりあえず着替えよう。そう思って、上着を脱いでバスルームの向かい側にある衣装ダンスの扉をあけた。
するとそこには奇妙なものがあった。
しばらくわけがわからずに私はそれらをポカンと眺めていたが、すぐに電話に駆け寄った。
「フ、フロントですか?…すみません、XXX号室ですけど、この部屋、誰か他の人の部屋じゃないですか?」
「ちょっとお待ち下さい。…えーと、いいえ、間違いはありませんけど」
「とにかく、すぐにこっちに来てもらえますか!…洋服があるんですよ!」
そして、ホテルの人が来て、タンスの中を覗いた。
「…おかしいですねぇ」
そこにはハンガーに掛けられた上着、シャツ、ズボン、下着、フックには野球のキャップ、その下には
スポーツシューズまでがきれいに揃えて置いてあったのだ。
「変ですねぇ、清掃係が入っているので、こんなものあるはずないんですが…」
「あの、他の部屋と替えてもらえませんか、お願いします」
「申し訳ありません、あいにくと今日は満室なんですよ」
そう言うと、洋服や靴をひとまとめにして頭をひねりながら出て行ってしまった。
何がどうなってるのかわからないのはこっちの方だ。その事実だけだって気持ち悪いのに、
入る前から感じてたこの嫌な気分…。これではとても寝られるという確信がなかった。
かと言って他の人たちに部屋を替わってもらうわけにもいかず、朝まではどうしようもない。
その時、デスクの向こう側に小さな窓がついているのに気がついた。厚手のカーテンが引いてあったが、
そこに吸い寄せられるように近づくと、そのカーテンには黒っぽいシミが点々とついている。
ま、まさか血じゃないでしょうね…。考えすぎだとは思ったが、何もないのにこんな気分になるわけがない。
すると、突然ひらめいた。そうだ、般若心経を持ってきたんだった。母が旅行に行く時に持って行きなさいと
携帯用の小さな般若心経をくれたのを思い出した。今まで使うことはなかったけれど、今回もちゃんと
バッグの中に入っているはず。
私は一刻も早くこの部屋を出たいという気持ちを抑えてベッドの上で正座をすると、部屋中に響き渡るように
般若心経を読み始めた。
五回目が終わった時だった。急にフッと胸が軽くなった。本当にそれは一瞬のことだった。
今まで怯えていたこなど嘘のようになにもなくなり、まるで違う部屋に入ったような気持ちだった。
空気が入れ替わったという感じだ。
…とにかく良かった、これで眠れる。万が一のために枕元にそれを置いて朝までグッスリ休んだ。
話はこれでおしまいだ。真相は今でもわからず、また知りたくもない。
よく旅行は行くけれど、そんな切羽詰った思いを経験したのは初めてだったし、それ以後もまだない。
それでも、出かける時は必ず般若心経は持参している。
私は結構勘に頼ることが多い。今までの経験から、勘が教えてくれているのにそれに逆らうと、
かならず後悔するハメになっているからだ。だから、最近は逆らわないことにしている。
もしかしたら守護神がいるのかもしれないし。
普段霊とかを信じない人だって、にっちもさっちも行かない時にはつい神頼みをする。
私には身近に母のような人がいたので特別なことでもないし、逆に興味もある。
たぶん、それは自分には見えないからだろう。
亡くなった宜保愛子さんに一度気になっていたことをみてもらったことがある。身体の具合に関したことで、
あるものが家に来てからだったのだが、結果は霊の世界とは関係ないということだった。
そして、その時に言われた言葉がずっと心に残っている。
「大丈夫、必ず良くなりますから前向きに考えなさい。病は生きているという証です」
目に見えないものが必ず存在しないとは言い切れない。人間の目に見えるものにも限界はある。
そして、愛情だって友情だって悲しみだって存在するけれど、精神世界も目に見えない。
人はそれを自覚するべきである。
霊魂が存在するかどうかは自分が死んでみないとわからないが、私は少なくともあるかもしれないと
思っている。
そして、輪廻転生も信じている。今のところまだ自分の中でいくつかの矛盾は解決できてないが、
それでも人生は一度っきりと考えるよりは、現世は頑張ってみるけれど、それでもやり足りないことが
あったら来世に持ち越せばいいやと気楽になれる。
今度はどんな時代に生まれるのか、また両親やダンナと会えるのだろうかなどと考えるのも楽しい。
それにどんな死に方をするかわからないけど思い残しをして成仏できない…なんてことにはなりたくない。
これは一種の防御線かもしれない。
UFOや宇宙人が本当に存在するかは、それも見たことがないからわからない。
しかし、絶対に存在しないという確証もない。
宇宙の果てがどこかも知らないくせに、地球だけに生物が存在するとは言い切れないし、
人間の生み出す科学なんて狭い地球だけしか通用しないものなのかもしれないのだ。
見たことのないものをあるとは言えないけれど、絶対にないなんて言う度量の狭い人間にだけはなりたくない。
そして、私は人間の目に見えないものの中には、見えるものよりも大切なものがたくさんあると思っている。
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